【第20号】宝探し!
◎部屋の整理
一世を風靡した野口悠紀雄氏の『超整理法』が出て15年。『超整理法』が私にもたらしたものは空き袋に資料を詰め込むということだけで、依然として私の部屋は混沌のままである。15年目にして『超整理法』の落ちこぼれであることが判明した形である。そんな中この4月より部屋の半分を明け渡す必要が生じ、これを機に整理法を大幅に変えることにした。整理しはじめると探していたものや、有用な資料などが次々とでてくる。まさに『宝探し』感覚である。この4月からはじめようとしている『禁煙外来』に関する資料もこの『宝探し』ですべて揃ってしまった。この『宝探し体験』で生まれて初めて『整理』がちょっと楽しいと感じたが、そこは生来の整理苦手人間。『宝探し』が楽しめるのも部屋が散らかっているからであるなど理由をつけて、部屋の整理はその後中断している。
◎ブックオフ
部屋の整理をしていると、いらない書籍もたくさんでる。これらはブックオフ(中古のCD書籍販売店)行きである。そのついでにブックオフの中古CDの山から『宝探し』をしてくるのが最近の行動パターンである(ちなみに私のお目当ては『黒光りする女性ボーカル』の方々。最近ではビヨンセが特にお気に入りである)。バブルの頃に流行った『黒光り女性ボーカリスト』ジャネットジャクソンの『リズム ネイション』などはなんと250円。20年もののワインなら価格倍増なのにCDだと価格は10分の1。しかも『250円リズム ネイション』を購入して思わぬ『お宝体験』。 岡村孝子の『心の草原』という曲はジャネットジャクソンみたいな曲として作ったということだったが、当時はどこがジャネットジャクソンなのか理解できなかった。CDを聴いてジャネット ジャクソンの『エスカペード』という曲のように作ったということが20年目にしてようやくわかった。
◎やまや
『やまや』の格安ワインからの『お宝』ワイン発見は、ワイン愛好家ならずとも大いなる関心事であろう。『800円でこの味!』のイタリアの白ワイン ムラーリ社のソアーベクラシコ2005年なども感動ものであるが、私にとっての『やまや』での『お宝』はなんといってもシャトー ラロース トラントドン2003年である。楽天のチームカラーのようなクリムゾンレッドの非常に目立つラベルにまず惹かれ購入。非常に濃い紫色。青インクのような清冽な香り。いかにもボルドーの赤らしい香りなのに渋くなくゴクゴク飲めるという不思議な体験が2000円で味わえたのはまさに『お宝体験』であった。その後ラロース トラントドン2003年は『やまや』から姿を消し寂しい思いをしていたが、最近ようやく『やまや』の店頭でラロース トラントドン2004年をみかけるようになった。しかし何回か飲んでみたが、色調が赤紫で少し熟成香が感じられ、2003年のような清冽な印象ではなかった。ビンテージの違いなのか、保存状態の違いなのか。あの『お宝体験』を求めて今後も飲み続けていきたいと思っている。
◎人間地獄
いまから38年も前のことである。宮城県南の大河原小学校5年生であった私は、友人と隣町の柴田町郊外にある通称『人間地獄』と呼ばれていた切通しの崖で遊んでいた(仙台大学のある通りを角田方面に抜ける途中)。このあたりは現在では工業団地になっているが、当時は戦前の軍需工場の廃墟などがあり、その荒涼とした風景が我々の冒険心を大いにかきたてた。特にその切通しのあった場所は道路脇に壊れた古いトンネルの跡などもあり、まさに『人間地獄』という表現がぴったりの場所だったのである。そこで私たちは崖の中腹に巨大な木の化石(珪化木)が顔をだしているのを発見した。私たちはこの『人間地獄』に放課後毎日自転車で通い、約1週間かけて、巨大な木の化石を掘り出したのである。化石は三つの部分にわかれており、一番大きなものは全長1メートル幅は30センチメートル近くあった。昭和45年秋のできごとである。その年の冬私は仙台の小学校に転校することになっていたので、記念に一番小さい部分をもらうことになった。この部分はやにが瑪瑙のようになっており私の『お宝』であった。しかし『お宝』だといっても、引っ越した仙台の家(現在の私の実家)北側の空き地に放置したままにしていたのである。
その後化石のことはすっかり忘れていたが、私が結婚し実家を離れる際、いったいあの化石はどうなったのだろうとふと思い北側の空き地をさがしてみたが、化石はみあたらなかった。その後も実家を訪れる度に、折をみては北側の空き地をみてまわったが、化石をみつけることはできなかった。このたび父の百か日の法要も終え、実家の整理の手伝いにいった際、北側の空き地をみてみたら、雨がしたたり落ちている部分より、化石が顔を出しているのを発見した。なにかの理由で土に埋もれた化石の上の表土が雨水で流され『石舞台古墳状態』となっての発見であった。私は感動した。38年ぶりの化石との対面で脳裏には化石を掘り出した当時の光景と感動が鮮明によみがえったのである。しかし化石を『あったんだよー』と見せても家族の反応は冷たい。確かに発掘体験を共有していない人間にとっては『宝物の化石』も『ただの石』であるには違いない。家族いわく『孫が化石に興味があったら宝にしてくれるんじゃないか』と。私の『お宝』は孫だのみである。
発行日:2008.04.01